函館氷は夏の必需品のはじまりでした
2024/08/02
氷には河川や湖水の冬季に氷結した物を切り出して保存・利用する「天然氷」と、機械によって製造される「人造氷」とがあります。
氷は日常の気圧において凍ると体積が約11分の1増加します。
そして比重が0.9168 と小さくなり、水に浮くことは日常的に見ることですね。
またドライアイスというものは、二酸化炭素を固体化させたものなのはご存知の通りです。
暑い夏の日々などは勿論、一年中において現代では簡単に氷を作ることができますが、昔々から明治時代初め頃までの長い時代の間には、夏の氷は貴重で庶民の口には殆ど入らないものでした。
函館氷(五稜郭氷)
日本では、寒い冬以外、冷たい飲み物が飲めるようになるのは明治になってからのことです。
昔々、といっても1800年代中頃、中川嘉兵衛(なかがわかへい)という実業家の男がいました。
嘉兵衛は、富士山の山ろくに500坪の採氷池を掘りはじめます。
そしてそこから約2000個もの天然の氷をとりだすことに成功します。
しかし当時の輸送手段として、大量の荷を運ぶには馬車や船くらいしかありません。
かくしてこの氷は、富士山の山ろくから江尻港(静岡市)までの8里(約32キロ)を馬の力を使って運び、その後は帆船を借りて横浜まで運ぶことになりました。
その運賃は一般貨物の2倍もかかり、横浜に到着したときにはすべて溶けて水になってしまっていたそうです。
嘉兵衛(かへい)は、その2年後、度々と採氷の仕事に挑戦します。
2回目は諏訪湖から、3回目は日光から、4回目は釜山から、5回目は青森からと、毎年場所を変えて氷を採り出し、横浜へと運搬しましたが、いずれも失敗に終わってしまいます。
それでも、嘉兵衛はあきらめることはありません。
その後函館に渡り、6回目の採氷に挑戦します。
この年は温暖であったため、わずかな氷しか採れませんでしたが、それでも250トンの氷を横浜に輸送することが出来ました。
採算は取れませんでしたが、これに手ごたえを感じ、7回目の採氷をはじめます。
明治2年、函館の五稜郭の外濠を借り受けて、亀田川の水を引き入れます。
この7度目の挑戦にしてやっと事業が成功したのです。
これが函館氷(五稜郭氷)というブランド名で販売されます。
当時の新聞雑誌にも、「製氷界の恩人―中川嘉兵衛」などと函館の天然氷採取が称賛され、人々におおいに歓迎されたようです。
これまで簡単に手に入れられなかった夏場の氷が、安く手に入るようになり、病人の熱さましとして、また暑い夏の飲食用として、人々が夏場に冷たいものにふれる始まりになったのです。
ということで、日本での天然氷が庶民にも恩恵を得ることができるようになったのは、明治4年に函館で初めて天然氷の採氷事業に成功したときから始まります。
西洋では1748年、手回し式の減圧装置を用いて、「ジエチルエーテル」の気化熱を利用した製氷を、スコットランドのウィリアム・カレンが造ったのが人造氷のはじまりとされています。
長い間、人は冬の寒い時期や暑い夏でも一部の地域のみが天然氷を利用してきましたが、19世紀になって科学技術の発達とともに人造氷が主流になり、衛生面・コストの点で天然氷の利用は少なくなっていったようです。
日本では、1883年(明治16年)東京製氷株式会社により小規模な製氷が行われるようになり、当初の製氷能力は、一日当たり6tでした。
しかし、天然氷の優れたところは、非常にゆっくりと凍るため氷の結晶が大きく、ミネラル分も多く 、美味しいところにあります。
130年以上経った現代では、天然氷の優れ面が見直されて、飲食サービス業や個人にも愛用されていますよね。
そして、嘉兵衛が最初に天然の氷をとりだした富士山の山ろくにも、美味しい地下水と自然の力を利用した優れた天然氷が再び(と言うか度々ですが)造られています。
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