私が青年海外協力隊に応募し、見事合格が決まり、派遣国がウズベキスタンだという事が分かったその3日後、母はウズベキスタンのパッケージツアーを見つけて申し込みました。
そして妹を連れて私の赴任の半年以上前にひと足先にウズベキスタンへと飛び立ってしまったのです。
そして帰国した母が放ったひと言に私は度肝を抜かれました。
「あんたの配属先の学校、ビデオに撮ってきたけど、見る?」
そう、母はなんとツアーを抜け出して私の勤務予定の学校まで行ってしまったのです!
まだ寒さの残る2月、青年海外協力隊合格通知が我が家に届きました。
学生の頃からずっと興味があり、途上国の音楽教育に携わりたいと切望していた私は、「音楽」という職種でエントリーし、幸いにもウズベキスタンの地方都市ブハラの公立小中学校で音楽の授業をするという活動に取り組める事となったのです。
よく、特に女性隊員が聞かれる質問に「ご両親は反対しなかったのか」というものが挙げられますが、我が家は受験前から大賛成で、父も母も「絶対良い経験になるから頑張れ!」と合格するよう応援してくれました。
そして晴れて合格が決まり、ウズベキスタンになったと母に告げると「お母さん、一度行ってみたいと思ってたのよね」と言いだし、その3日後にはさっさとツアーを見つけて妹を引き連れ、ウズベキスタン旅行へと飛び立ってしまったのでした。
帰ってきた母は実に楽しそうで、タシケント、ヒヴァ、ブハラ、シャフリサーブズ、サマルカンドという主要観光地を周遊するツアーが大変気に入ったようでした。
直系30cmほどもある立派なサマルカンドノン(パン)をスーツケースから取り出した時は驚きましたが、更に驚いたことに「あんたの学校、ビデオに撮ってきたわよ」と言いだしたのです。
聞けば、私の任地ブハラに滞在中、ホテルのフロントへ1人で乗り込み、英語と、僅かに知っているでたらめなロシア語で「私の娘がこの学校で働くんだけど、ここから遠い?今から行って帰ってこれそう?」と聞いたようなのです。
親切なホテルスタッフさんがタクシーを手配してくれて、ひとっ走り行って来たのだそう。
さすがに外観だけだったので、「中には入れなかったんだよね」と聞くと「時間が無かったからねぇ」と答えた母、時間があれば学校内にも乗り込むつもりだったとか。
母の行動力に完全に脱帽いたしました。
そんな母の娘である私、我ながら青年海外協力隊員にはとても向いている性格だったようで、2年間、ブハラの学校で苦労しながらも楽しく国際協力活動に勤しんで参りました。
母のウズベキスタン旅行でお土産にもらった厚手で大きめな伝統工芸のポーチを、なぜか持参し2年間ずっと財布代わりに使っていました。
そばでずっと母が応援してくれているかのような気がして手放せなかったのかもしれません。
そんな母は私がウズベキスタンに滞在していた2年間で、6回の海外旅行を楽しんだそうです。